【僕は対人恐怖症だった】
カミングアウトします。僕は「対人恐怖所を乗り越え、今に至った」経緯があります。そしてこれを赤裸々にします。ある日、友人に自分の過去をガッツリ語ったことがあります。すると、もの凄い聞き入ってくれました。これまで敢えて話しませんでしたが、喜んで頂けたのでシェアします。
「対人恐怖症」で悩んでる人に、確実にお力になれる記事です。
いきなりですが、お聞きします。
・47都道府県走った
・一年で49,000km達成
・北海道から沖縄まで友達出来た
これは日本一周をしていない人からすれば凄いですよね?
では、これはどうでしょうか。
・今日はコンビニ行った
・今日は買い物行った
・今日は電車に乗った
言わせてください!
めちゃくちゃ凄いです!!
意味がわかりませんよね。なぜかわかりますか?
僕は10年以上前に、対人恐怖症で本当に悩んでました。
コンビニに行けず、買い物にも入れず、電車にも乗れない奴だった。
1人で苦しんで、誰にも相談出来ず、心を病んでしまったどうしようもない奴だったこと、まずお伝えします。
そんなヤツが今では日本一周をして、単独で登山もやってる。
だからこれを言うと、絶対嘘でしょ!?と言われます。
事実として話すので聞いてください。
僕は学生時代、異常に他人の目を気にして生きていました。
その当時はとにかく人と話すのは苦手で、
中学の途中までは友達は少ないが、平凡な人間だったと思います。
僕は中学の時に誰よりも信頼していた両親がいて、必ず親孝行して立派な大人になるんだと前向きに生きていました。
ですが、父の仕事のストレスで矛先が僕に向けられ、理不尽な「暴力」を受けました。
中学の感受性が強い時期です。
それから人を信じられなくなってしまいました。
その時に説明しずに、放置していた父も悪かったのですが、僕はこのように捉えました。
「裏切られた」
絶対に許さない。人間なんてこんなもんか。
なぜ俺がこんな仕打ちを受けるのか。
よくも裏切ってくれたな。。この時から、自暴自棄に陥って、誰も手が付けられないようになっていきました。本当に荒んでいった。
この時、父も何らかの事で弱ってたんだと思います。
しかし、当時の僕は大人でもなんでもなく、その時の感情をストレートに向けるしかなかった。
もう少し大人なら人生変わってたかもしれない。
今ではそう思います。
自分の存在意義すら見出せないほど悩み、苦しみ、自分の中でどんどん抱えていき、もう俺は・・
誰にも認められる事もない。
誰かに求められる事もない。
自分の思うように咀嚼も出来ず、今生きてる理由はなんなのか、それすら見失い、誰かに相談する事も出来ず闇となっていきました。
今思えば、本当にガキだったなと。
それから高校に上がり、僕に近づいて来る人間全てを拒否するようになり、15歳から数年ほど親とも断絶状態が続きました。
実際問題、特に仲の良い人じゃない限り会話が続かなく、いわゆるコミュ障の自覚はありました。
以来、人を恐れて極力誰かと2人になるのを避けたり、とにかく自分を下げることで場を持たすような感じになりました。
そのため高校では常に自信なさげでオドオドしていて教室でも非常に情けない奴だったと思います。
ただし、高校でも同じようなコミュ障の人とはそこそこ仲良くなれていたと思います。
それでもやはり2人きりになるのは怖かったですし、なめられているなとは感じてました。
だから余計に敵意を持ってしまい、ますます心を閉ざしてしまい、充実した学生生活とは無縁でした。
このまま生きて何か良い事あるのかな、もうこれから何を指標にして生きていけばいいのだろうか…。そんな事を本気で考えていたのです。
この影響で20歳まで完全ネトゲ廃人として過ごし、自分にとって楽な状態ではありますが、心の奥底では寂しいとも感じていました。
人肌が恋しいというか誰でもいいから手を繋ぎたい、人として繋がりたいと思うのです。
誰かと仲良くなりたいが、傷付くのが怖くて行動できない。こういうのをヤマアラシのジレンマとでも言うのでしょうか。
「この状態から脱するにはどうすればいいか」
精神科にも通い、とても普通の生活とは言えない状況でした。
飲んでいた薬はメイラックス、その他安定剤。
僕の名前の入った診察券です。
最後行ったのは平成25年3月。
そして、毎日ゲーム画面を10時間以上見続け、視力はどんどん落ち、メガネを掛けました。
食べるものはカップラーメン、スナック菓子ばかりでどんどん太り、90kg近くまで増えました。
風呂も入らず、肌は荒れ、頭皮も荒れ、生え際の部分がどんどん抜けていってしまいました。
もうどうでもいいわと
そして、そんな中で
僕を支えてくれた人がいた
周りの1人にこう言われた。
“あなたは1人じゃないよ”
言葉だけじゃない。
無垢に、それに触れることもなく、自分の想像していなかった寄り添いで接してくれ、1人の人として扱ってくれた。
感謝とか、ありがとう。とかそんなものでは表現出来るものではなかった。
本当に救われた。
…死ねる。
どうせ一度は捨てた命、もう何も惜しくはない。自分に本気で寄り添ってくれた人に、自分の唯一信じられる人に、何かを投じられるなら本望で。それが生き甲斐となって、自分の存在意義となっていくなら。この生涯、俺を支えてくれた人に捧げたって構わない、この人の為に。
この人の為に、もっと強く生きよう。
こんな感情にさせてくれたのは、自分のコンプレックスに触れる事もなく、ただ1人の人間としてそっと寄り添ってくれたこと。
だからせめて、それに見合うだけの男になりたい。
自分にそう接してくれたように、その人の心意気に、応えられるだけの男になりたい。
そう、心で接していけたらと。
この存在の大きさは計り知れず、自分が心から救われたように、これからはしっかり前を向いてる自分で居なければ、自分の存在意義なんてないと思った。
だから俺は病んでる場合じゃない
そんな事を気づかせてくれたキッカケに、何かしなければならない。
この経験で心を開くとはどういうことか、かなり見えるようになった。
壮絶に苦しんだ自分がいたから、理解出来る事も多くなって、
満たされ続けた人間には感じられない感覚を知った
僕は数年掛けて、対人恐怖を克服していった。
勇気を出して友人を買い物に誘ったり、自分から出来ることを少しずつ増やしていったり。
海外旅行もするようになって、韓国、香港、マカオ、タイ、シンガポール、フランスへ行くようになったりもした。
すると、街ってこんな色んな人達が居て、こんな世界があるのかと。
それまで廃人ゲーマーだった僕は街中へ行くなんて怖くて出来なかった。
周りの支えがあって、街へ行く回数も増えて、段々と良くして行った経緯があります。
そして、数年後に日本一周に至ったのです。
誰よりも信頼していた人に「裏切られる」という感覚はどんなものか、経験あるでしょうか。
- なぜ俺が今生きるんだ?
- 俺の人生ってなんなんだ?
- 生きていく意味がわからない。
- なんで俺は生まれて来たのかな。
そんな感覚でかなり長い間、闇を抱えている自分がいました。
とくに若い頃は、デリケートな時期です。
酷いことをやった人は、何かしらの劣等感を持っていると思います。
僕の場合は親父のストレス、その吐け口の矛先となって、この状態に陥りました。だから、人は誰かを下に見ることで、変に優越感を持ち、自分を平静に保ってるんだろうなと今では思います。
相手が完成された人であれば、そんなことは決してしません。ただ、周りが未熟だったのです。そもそも、他人に振り回されるなんて馬鹿馬鹿しい。
今では運が悪かった、そう割り切ってるから、前向きに生きられてるんだなと思います。
共感して頂けたら幸せです。
対人恐怖、経験者として伝えたいこと
「誰かと仲良くなりたいが、傷付くのが怖くて行動できない」という人は多く存在します。
これは旅人とのコミュニケーションに限らず、対人で悩んでいる人は多いです。僕はこの状況で中学の頃から10年以上悩んでいましたが、たまたま色んな人、友人の存在をきっかけでこの悩みから抜け出すことが出来ました。
たとえ、自分を育ててくれた親でも、完璧な人なんていないよなと。
だから僕は、父にあの時の全てを聞かせて欲しいと向き合い、話し合い、全てを水に流し、今はまっさらに生きてます。
強くなったな、変わったなと。
今ではどこかで親孝行をしたいとさえ感じています。親や周りにこれからも変わった自分を見せ付けて、堂々と振る舞って行けたらと。
ほんとうに人生なんて短いです。
もし、僕のような境遇で生きてる人は、人を恨んで生きるより、どう認め合って行くかにコミットすると、人生は豊かになること知って欲しいです。
▼僕が対人恐怖を経験して
- 「過去の失敗や、緊張の記憶」
- 「失敗してはいけないという想い」
- 「根本の原因は自信がないこと」
- 「人前で、何かをするのが怖い」
- 「常に周りから視線を感じる」
- 「周りを不快にさせてるような気がする」
この気持ちが痛いほどわかりますし、強烈な共感をします。過去に大きな失敗をしてしまうと、その記憶がその後もずっと残ってしまい、同じ状況に立つと、また同じ結果になるのではないかと途方に暮れてしてしまうんですよね。
すると、その状況を避けたいがために、行動が出来なくなり、その結果、今度はその行動出来ない自分自身に対して自己嫌悪に陥ってしまいます。
僕は本当にこれでした。
だから自分は弱い、もうダメだと思い込んでしまうんですよね。そうなってしまうと、「失敗してはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」と言う気持ちが強くなります。
その原因は遺伝的なもの、僕のような過去のトラウマなどによるもの、様々ですが、そういった気持ちが強くなればなるほど「失敗するかもしれない」と自分に自信がなくなってしまいます。
その結果、不安な状況を避けようと向上心、自信、行動に鎖を掛けてしまうんですよね。
でもね、よく聞いてくださいね。
"こんな鎖は、ぶち壊してしまえばいい"
こんなものに縛られる必要なんてない。
馬鹿馬鹿しい。
だから、俺は闘う意味が大きくあった。
こんなことを言う為にでも俺は戦って来た。
嬉しかった。本当に。
過去の自分にも同じことを言ってやりたい。
「自分に負けんな」と。
根本的に自信がなかった
前述からわかるのは、対人恐怖を改善するには悪循環の元である「不安」を取り除かければならないと思います。
正直めちゃくちゃ辛いです。
こんな「不安」を取り除くには「俺が失敗するはずがない」もしくは「俺なら大丈夫」と思えるほどの自信をつける必要があります。
長年ついてしまった考え方のクセを変えるには、どうしても時間がかかりますが、諦めず地道に続けてみて下さい。
▼自信をつけたコツ
1.少しずつ自分を認めていく
2.人は人、自分は自分と考える
3.自分でも強みがあると知る
少しずつ自分を認めていく
自信をつけるには、人から褒めてもらう経験が非常に有効です。
厳密には人から褒めてもらって得られる「達成感」が自信をつける意味で良い影響を与えるので、達成感さえあれば、自分で褒めても問題ないです。
僕がよく言う、「今日はやるぜ!」「今日はブチかます!」「行くぜ!!」といった自画自賛です。
なんなら僕があなたを超絶褒めまくります。
そこでやってみてほしいのが「少しずつ自分を褒めてみること」僕の場合は「少しずつ旅をする」です。
昔はヒヨりまくってましたが、反省を繰り返すと、少しずつ自分を認めて行けるように変わっていきました。
人は人、自分は自分と考える
自信がない人は他人と比較して自分を批判し、その結果、更に自信をなくしてしまう傾向が強いです。
そのため「他人との比較を辞める」のは、自信をつけるというより、自信をなくさないために非常に重要です。
とはいえ、急に辞めろと言われて辞めれるのなら苦労はしないです。そこで、比較を辞めるのではなく比較する対象を、「他人」から「過去の自分」に変えてみましょう。
「人は人。自分は自分!」なのですから。
すると、他人との比較を辞められるだけでなく、自分の成長に気付いて達成感を得られるので、まさに一石二鳥です。
上手く行ってる人と比べ過ぎると、最悪なまでに他人に依存してしまい、成長を抑止してしまいます。
人は人、自分は自分と考えるべきです。
自分にも強みがあると知る
自信がないと自分の価値をなかなか感じられないです。しかし、どんな人にでもその人ならではの『強み』が必ずどこかにあります。
絶対にあります。
無いと言い切る方は、僕が見つけてあげます。それは、自分の強みと、その活かし方さえわかれば、徐々に自分にも価値を必ず感じられるようになります。
しかし、自分で自分の強みに気付くのは実は困難です。
なぜなら強みとは『その人にとってできて当たり前のこと』だから。
なぜか周りから褒められるけど自分ではピンとこないような経験があれば、そこに強みのヒントがあるかもしれません。
そういったヒントを頼りに人に聞いたり自己分析を行い、自分の強みを探してみて下さい。
僕は常にここにコミットして、執念で自分を奮い立たせて、今日この時まで自分を変えてきました。
冒頭でもお伝えしたように、
"僕も最初から上手く行った人間ではありません"
- 今日はコンビニ行った
- 今日は買い物に行った
- 今日は電車に乗った
これが出来ない人からすると本当に凄いことです。
僕はとにかくこれが出来なかった。
だから苦しんで、誰にも相談出来ず、1人で抱えて、プライドを捨てて、病院に行った。
だから今、たとえ辛くても、あなたは行動しようとするでも素晴らしい。今の自分を褒めてあげてください。
あなたは十分頑張ってますよ?
苦しむのはもうやめましょう。
誰だって必ず挫折して、悩むときがあります。
だから、自分には負けないでくださいね。
ぼくと一緒に戦いましょう。
余談
僕は少しずつですが、思い付いたことはどんどんやって行きました。それでも最初は自分の思い通りに行くことは少なかったです。掘り下げてひたすら考えてみても、上手くいかなかった。
「負けたくない」という気持ちを貫けば、貫く程に挫折もした。
何も出来ない自分自身が悔しくて、何回も泣いた。だから本気になれたんだと思います。
人より悩みが多いからこそ、達成出来た時、自分だけが感じ取れる衝撃や感動が存在します。
しかし、人生を変えてしまうくらいの出会いと魅力が、日本一周にはありました。
これまでの僕の原動力となっているのは、「もっとこうなりたい」「次はこれをやってみよう」「あれもやってみよう」といった挑戦を繰り返すマインドです。
そして、こんな自分に絶対戻らない、その決意です。
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